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シンプルな生き方を目指すセラピストシローの人生シロウト体験日記 

シンプルな生き方を理想とし、無駄な思考・行動をできるだけ排除するためにはどうするかを自己の体験・思考を元に綴るブログです。

それなりの組織にはそれなりのルールがある。突き抜けられないのは社員ではなく社長のせいだと思ってしまう。

それ何がおもろいん? ただの日記 不安との闘い 悩み事 自分の価値観 あったらいいな 仕事の仕方

久しぶりにパソコンを開きブログを書こうと思ったきっかけが、また愚痴になろうとは...すごく残念で仕方ない。

 

昨年末に退職した職場は自分が入職した時点では創業2年弱のベンチャー企業。給料等の待遇面では居住地域の水準を大きく上回るものだったので、納得していた。

職場内でのルールがないのは創業間もない状態で、現場管理者もその間に何人か変わっていたので、それも仕方ないと納得していたし、その時にいた現場の人間で作り上げていけばいいと前向きに捉えることができなくはなかった。

 

しかし、1月に入職した職場は創業10年を超え業界では歴史のある部類になると思う。

にも関わらず、ルールがほとんどなく、現場管理者はいるが業務の責任の所在がはっきりせず思うように仕事が進まずイライラが募るばかり。

創業10年ってこんなんもん?

そんなに大したことではないのか?

創業10年の中小企業生前率は10%弱と聞いたことがあるが、それはウソなのか?

 

生き残っているのはそれなりの理由があるのではないかと思っていた。

しかし、現実には会社に理由があるのではなく、単純に独占市場であるから。

競合他社が存在せず、やったもん勝ち的な感じとなっている。

そんな状態だから、組織は成熟せず社内のルールもあいまいなまま。

職員は定着せず、入っては辞めの繰り返し。

 

とりあえずその場しのぎの人員配置では組織は成熟するはずもない、そんな状態にも関わらず社長は次々と新規事業を立ち上げる。

そのために現場の人手不足は絶えず、仕事量が増える割に給料は上がらず、満足度は非常に低いと思われる。(職場では不満を言われる方が多くいる。)

そのような状況をどれだけ社長が把握しているのか?

 

100人を超える社員がいる会社で外を向いていることが多い社長がそこまで目を配れているかというとそんなはずはない。

 

組織のピラミッドとしては、社長、副社長2名、部長6~8名程度で形としてはできている。

しかし、支店がいくつかできる中で、管理職が全く関わっていない支店もある。

管理職はいるのにバランス良く配置されていない。

本社機能を有する地域に多く管理職は配置され、残りの視点は現場管理者に一任されている。

権限委譲と言えば聞こえはいいが、実際のところは管理しきれておらず支店ごとのルールは決まっておらず、決裁権は持っていない。

何か確認することがあれば本社確認。

そういう企業が多いのかもしれないが、そんなこと確認する必要がある?

というようなことまで本社確認。

確認してもすぐに返答もなく、確認を怠っている場合もあり中々話が進まない。

 

管理者に意見しても意味はなく、会社が悪いと裏で文句を垂れるだけ垂れて、必要な場面では発言しない。

そんな非建設的な話を聞かされて入職直後の私は何を思えばいいのだろうか?

 

書類の管理ぐらいは自分でやればいい。

なんでも事務職任せにするのはおかしい。

最後まで責任を持って、仕事にとりかかる。

そんな意識さえもないのは、個人の問題もあるが実際にはまず会社。

会社が小さい規模の時からきっちりと仕事をしてこずに、そのばしのぎでやってきたことがまず原因。

初めからやってればこんな事態にはなっていない。

 

こういうルールはこつこつ積み上げてこそ築かれていくもの。

企業の精神は日々の積み重ねが作るもの。

会社の空気が社印をその気にさせる。

言って分かるものではなく、空気ありき。

そういう空気がまずあり、ルールを徐々に作っていく。

そうしないと上手に組織は回らない。

ルールだけでは人は動かない。

でもここまでこの空気出来たなら、無理にでもルールを作って責任の所在をはっきりさせて思いっきりシフトチェンジするしかない。

 

明日はその最初のきっかけを打ち出す日になりそう。

あーやだな。

言わなくてもいいなら言いたくない。

でも自分の日々のストレスを減らすためには一回のストレスはがまんするしかないんかな。

クソ社長。見とけよ。

方向性はどんなものにもあり、方向性を知ることが目的地を知ることに繋がる場合もある。まずはそれを身体で体現したい。

ただの日記 人生について 身体について 自分の価値観

最近アレクサンダーテクニークで学んだことを書いてみます。

 

「身体の方向性」が大事だと教えてもらいました。

 

最近からだが縮こまったような感じがして身体に違和感を覚えていました。どれだけ伸びをしても伸びなくて。やればやるほど背中の一部が緊張して。どうしたもんかと悩んでいました。退職が近づき面倒なことが多くてストレスフル。そんなことも影響してか身体が緊張していました。

 

そのタイミングでアレクサンダーテクニークのレッスンに行く日予定があったので、タイムリーだと思いどうしたらいいか聞いてみると「身体の方向性」が大事だと教えてくれました。

 

身体にはそれぞれが方向があると。呪文のように「頭首脊椎」「前へ上へ」と思うと。

・頭と脊椎は前方に回転、椎体後部は上方へ

・肋骨も脊椎に連動した方向へ

・両肩は外側へ

・肘は肘頭が向く方向に

・指は指先が向く方向に

・坐骨は下へ

・大腿骨は膝蓋骨の方向へ

・下腿は下へ

・つま先はつま先の向く方向へ

 

色々するよりもこれを思うだけで身体は楽になると。

確かにこれだけのことを思うだけで身体は楽になり、背伸びをしてもすごく伸びる。

 

色々重なったら色々試さずに原点に帰る。

シンプルすぎるから本当に大丈夫かと思うけど、シンプルって簡単って訳ではなくって物事の本質だから余計なものがなくて逆に捉えどころがなくて難しい。

 

シンプルな生き方を目指している自分ですが、シンプルに生きるには健康が欠かせない。わかってはいるけど、健康ってわかるようでわからないことがめちゃくちゃ多い。

ここをシンプルに伝えられるように日々精進することを自分は求められている。

とあるクソしょうもない理学療法士のブログを読んでイラついたので内容もなくただただ感情を打ち込んでみました。

それ何がおもろいん? ただの日記 理学療法士

久しぶりに書く記事がこんなものになるとは非常に残念ですが、でも自分の感情を抑えないようにすることが最近の課題になってきているので、感情を処理していくようにするためにもこんな記事書いてみます。

 

今朝のフェィスブックのタイムラインに出てきたクソしょうもないブログの記事。

理学療法士には哲学を教えないからぶれないんだと。

解剖学・生理学・運動学を学ぶ前に哲学をまずは学ばなければならないんだと。

理学療法士であり、カイロを学んだらしき人が記事を書いてました。

この記事どこかで見たような気がすると、おそらくこの記事を書いた人どこかのブログ記事をパクッテるんではないかと。

 

私の記憶はあいまいですが、以前にもこのような記事をどこかでみかけました。

その方はたしかオステオパシーを学んでこられた方だったと思います。その方もどうようにカイロやオステは哲学があるけど、理学療法士にはないと言ってました。

 

哲学を学ぶということは確かに大事です。哲学は人が何かする時の教科書的というか説明書的なものだから何かに迷ったときに振り返るものだと思うんです。

 

しかし、クソ記事を書いた本人は理学療法士は軸がないとぶれやすい、軸がないからぶれるんだ的な言い、軸を形成するために必要なものは解剖・生理・運動ではなく哲学をまず知ることが大事で、哲学が大事だということを伝えるためのセミナーを世の理学療法士のために開きたいと。

そしてFacebook上でそのクソ記事の友人たちは大賛成だとおっしゃっておりました。せいぜい身内で楽しんでくださいって感じです。

 

軸がないことがそんなにだめなのか、軸がないのは哲学がないからなのか?

哲学なんてなくても十分に生きられる。というか哲学がないと生きられないという発想クソしょうもない。どう生きればそんなしょうもない発想になれるのか?

「俺は経験しているからこそわかるんだぜ」的な感じの発言クソしょうもない。

こういうセラピストがセミナーをできる。そこに多くの参加者が集まるというのがはっきり言って意味わからん。

理学療法士が軸がないとぶれないというのは制度的な問題の方が大きいと思う。

理学療法士がする仕事は「基本動作の回復・維持」それがまず軸になって様々な分野に波及していく。そこがまずないがしろにされていること自体が問題で。基本動作を確立するためには解剖・生理・運動というのは大前提にあり、そこを学べていないからぶれているのであって哲学がないからではない。

自分の仕事に哲学を持っている人間がどれだけいるのか?哲学があるから仕事が上手くいくということはないし、哲学がないから自分が安定せずに疲弊してしまうということもない。

何かにつけてセミナーを開催しようとするその発想がしょうもない。

セミナーを開催することは一向構わないし、どのセミナーに参加しようと人それぞれだからそこに文句を言うつもりもない。

でも弱みにつけこみ不安を煽るようなやり方でセミナーをやってやろうという感じがクソしょうもない。

 

裏付け根拠もない、ただただ自分の感情をぶつけるだけの記事になったけど。

自分としては大満足。クソなやつにはクソと言える自分になりたい。

他人と摩擦が起きようともそれは貫いてやってきたい。周囲に迷惑をかけない程度に

とある学会にて発表を行ってきたときのこと

ただの日記 悩み事

久しぶりに書くブログがこんな内容になろうとは思いもしなかった。

この数ヶ月私が何をしていたか、特に誰も興味がないのはもちろんのことだろうけど、一応報告しておきます。

昨日の学会に向けて直前に焦って準備をする。

ただ焦りだけを感じながら特に行動は起こしていませんでした。

つまり学会のある2週間ほど前までに準備というものを行っていなかった。

学会というものをなめていたからだ。

人前で話をすることに少しなれてきたところだったし、学会の発表なんて所詮数分一時間話をすることに比べたら楽勝だとたかをくくっていた。

話す内容が決まっていればちょこっと資料を作っていれば余裕だろうと。

しかし自分史上では見たこともないぐらいの成果物のなさというやよりもなんの結果も残せていない。

話をしているのに、ウケ狙いに行ってるのにフロアからの熱量を感じられない。

嘲笑ならまだしも無という状態。

これは一体なに?と思って冷静に考えてみるとこれがスベるということなのかもしれないとハッとした。

アクションに対してのリアクションがない状態をいわゆるスベるというのだと認識した。

スベるとは物質間でなんの抵抗も生じないことを言うのだということが明らかになった。

学会で発表しても何も得るものはないと思っていたが、思わぬ収穫があった。

スベるということは大変なことなんだと。

仕事でなければあの状況が脳裏に浮かぶと何も行動を起こせなくなります。

芸人の皆様スベっても立ち向かおうとする姿感服致します。それこそがプロフェッショナルなんだと教えてもらいました。

工事現場はいつまで人間に任せるの?

ただの日記 自分の価値観

被災地に住んでいると毎日大型トラックの往来を目にし、働く車を全てみれるのではないかというぐらい重機を目にします。

 

そんな工事現場を見て最近思うのが、

・高齢者が多い

・無駄に人数が多い

・結構危険そう

・効率悪そう

 

被災地の工事現場には人が足りていないと言われるだけあって、

若い人が少なく大丈夫かなと思うようなおじちゃん・おばちゃんが結構います。

経験豊富なのかもしれませんが、こんな大事な工事をこんな人たちに任せて本当に大丈夫?と思ってしまいます。

 

また人が足りていないと言われている割に大した現場でない場所に人数集まっていたり、やること結構ありそうなのに一か所に人が集まってたり、人が足りてない割に無駄に人数が多いように感じる。

 

高台の造成を行っているので、結構急斜面での作業が多くなっています。大丈夫かなと心配になります。

 

上記から効率がすげー悪そうに見えます。

今まで都心で見てるとそんなに効率悪そうだなと感じることはありませんでしたが、上記に挙げた現状を見ていると地域性なのか人手不足のためなのか、工事現場が広範囲すぎるために上手く回っていないのか原因は定かではありませんが、とりあえずだるそうでなんとなく効率悪そうです。

こんなんだといつまで経っても工事終わらないじゃないかと感じます。

 

ここでも私が推奨する人工知能で問題が全て解決するのではないかと考えます。

 

人工知能を搭載した重機を活用すれば効率の低そうな高齢者を働かせる必要もなく、無尽蔵な体力で休みなく作業し続けることが可能です。

一日も早い復興を願う被災地の方々からしてみれば雇用の促進よりも、優先されることではないかと考えますので、高齢者よりも人工知能を採用しましょう。

 

人工知能であれば作業工程を効率良くこなすことが可能なので、一か所に人が集まって無駄に人手を割くことがなくなるので、人件費効率は圧倒的に上がります。

低賃金で多くの人手よりも、高賃金の人工知能を無理してでも導入しましょう。

 

危険な現場でけが人を出して身内を悲しませるよりも人工知能を導入し、大事な人の命を守りましょう。

 

ずっと同じことを言い続けていますが、効率的な面から考えると圧倒的に人ではなく人工知能だと考えます。

 

工事現場においても圧倒的に人工知能の方が人間に勝ると考えます。

現場仕事から人間を早く解放してあげてほしいなと思います。

やっぱり医療は人工知能に任せましょう!

医療について 自分の価値観 ただの日記

以前こんな記事を書きました。

spidy460.hatenablog.com

 

そして最近こんなニュースがありました。

www.huffingtonpost.jp

 

医師が診断を行う手順を考えると事前にどれだけの医療知識が頭に入っているかということが一番重要となります。

これが大前提でその知識を使ってどの病気の可能性が高いのかというところ医師の質となっていくと考える。

 

この2点に関しては完全に人工知能が上回っていると考える。

既存の知識を上手に使うのは圧倒的に人工知能に軍配があがる。

 

医療は安全で確実性を求められ、研究により日々進歩し昨日の常識が今日の非常識ということもあるため知識を常にアップデートする必要がある。

 

医師の現状の働き方を考えると日々の診療に追われ、世の中に出ている情報を取捨選択し良質な情報だけを入手するということは難しい。

そのためどうしても経験則からの診断となり医療の質を考えると診断レベルの向上は期待しにくい。

 

そのため私は人工知能で診断を下し、手術が必要な場合は手術ロボットで手術を行うという形が理想の医療であると考える。

 

より安全に最新の治療を受けるには何よりも人工知能の導入が最優先されるはず。

早く人工知能に医療を任せてほしい。

そうすればわざわざ病院に行かなくても自宅でネットを通じて診断を下してもらい適切な医療が無駄なく提供されるかも。

それが医療のコストをもっとも下げる方法かも。

 

 

愛と栄養は同じ

ただの日記 リーダーについて 不安との闘い 人生について 悩み事 自分の価値観

仕事が忙しいというか後回しにして締め切りまじかのものが多すぎて大変。

計画通りにやっていたら今さらこんなことにはなっていない。

やりたいことを優先しすぎててんやわんや。

と言いながら、必要のないブログを書いてしまうあたりが自分の悪いところでもあり気分転換が上手なところかとも勝手に自己評価してしまう。

 

最近スタッフの入れ替わりがあり、人との関わりの難しさをまた感じている。

人ってほんとに十人十色信じられないぐらいにタイプが異なる。

接し方に注意しているつもりでも真意が伝わっているのは数%じゃないかと思うぐらいコミュニケーションというのは難しい。

コミュニケーションのまずさから疎外感を感じているスタッフは必ずいる。

というか思い当たる節がありすぎて非常に恐怖を感じている。

あのスタッフは自分に対して何かよからぬことを考えてはいないだろうかと夜外を歩いていると後ろを気にしながら歩くことだってしばしば。

普段は自分の思いを口に出すことが少ないだけに、心の奥底に秘めた彼の不満を想像するだけでも夜も眠れない。

しかし、その彼にどのように対処すればいいのかどんな本を読んでも参考にならない。

 

彼は何を感じているのだろうか普段の無表情具合が恐怖心をより駆り立てる。

 

彼はいつからあのように無表情になってしまったのだろうか、

彼が発言するたびに事務所の空気が歪んでいく。

その場に合わなすぎる発言をする彼の空気察知能力はどのようなものだろうか。

空気を凍り付かせるつもりなど毛頭ないだけにより一層彼に対しての苦手意識は高まるばかり。

 

彼の支えとなる物は何かあるのだろうか?

彼は何を支えとして生きているのだろうか?

 

生化学的に言えば彼は生きていく上で十分に必要なものは摂取できている。

むしろ過剰摂取と言えるほどに肥満体である。高血圧だし。

その割に彼の職に対する欲求は果てしない。

自分では気を付けているのになぜ痩せないのだろうと悩んでいるところがまた周囲を困らせる。

周囲から見れば十分すぎるほど栄養を摂取している。

 

人間が生きていく上で生化学的なものを過剰摂取せねば彼は生きられない状態にいるのだろうか。

 

もう一つ生きていく上で欠かせないものがある。

それは他者からの愛である。

他者からの愛を感じられないものは生に対して絶望を感じ、生を諦めるか自暴自棄となり周囲を巻き込んだ事件を引き起こす。

 

彼は愛を教授できないがために栄養を過剰摂取し、愛の代わりにしているのかもしれない。

彼が愛を感じることが可能になればだんだんと肥満体から解放され、標準的な体型へとそして無表情から解放されるのかもしれない。

 

愛と栄養は同じ。

彼にはきっと愛が足りないのだ。

 

しかし、栄養には貪欲に行動を起こす彼も愛に対しては非常に消極的である。

栄養は行動を起こしても失敗することはないが、愛は行動を起こすと成功もあれば失敗することもある。

失敗の可能性があるということに彼は行動に移すことを躊躇しているのかもしれない。

 

この点においてだけは愛と栄養は全く違ったものなのかもしれない。

簡単に手に入る栄養だけを頼りに生きる彼は決して間違った行動をしているというわけではないが、人間として生きていく上ではお酒が飲めないと人生の半分を損しているという酒飲みの意味不明な理論より的確に人生を損している。

 

愛を感じらられるからこそ生きる希望が湧き、日々が活力のあふれたものになる。

そんな当たり前の生活を彼にも感じてほしい。

 

失敗を恐れる彼に対しては行動を求めるより、行動を起こすきっかけを与えてくれる誰かが必要なのかもしれない。

 

その誰かとは他でもない自分である。

自分以外に彼にきっかけを与えられる人間はいない。

 

それだけの責任を持って自分は行動にでないといけいない。

あー重責。

たまらん。

でもやるしかないようだ。

人生シロウトに対して大したハードルを用意してくれたものだと感じさせてくれるいつもの日常でした。