シンプルな生き方を目指すセラピストシローの人生シロウト体験日記 

シンプルな生き方を理想とし、無駄な思考・行動をできるだけ排除するためにはどうするかを自己の体験・思考を元に綴るブログです。

禅はなぜ座って行わなければならないのか?

正直、座禅や仏教についての知識はほぼなく、仏教に関して言えば手塚治虫が書いたブッタを読んだ程度です。

 

ブッダ 1

ブッダ 1

 

 なので、完全な私見です。

しかし、宗教にしろ、哲学にしろ実践してなんぼのところがあるので、間違っていないのかなとも思っています。

そもそもなぜタイトルのように思ったかというところですが、禅ってリラックスしてやらないとできないと思ったからです。

リラックスしてできないから、集中できない、邪念というのか思考が頭の中でぐるぐると回る。

こんな状態では瞑想できるはずがないのです。

しかし、禅って座ってしかしないし(座禅なので当然ですが)、座ってやるように言われます。瞑想もそうなのかな?

でも座禅の姿勢って結構しんどい。初めてやる人にとっては辛いものでしかない。

でも結跏趺坐・半跏趺坐という姿勢がスタンダードでそれ以外は聞いたことがない。

色々な理由はあるらいしいけど、ブッダがそうしたからそうなんだとしか伝わってこない。

まああの姿勢で悟りを得たのだから仕方がないんだろうけど。

そこに自分なりに答えを見つけたので今日はそこについて書いていきます。

 

今日は休みで特に何もすることがなく、天気も悪かったので朝起きてから布団の中でモゾモゾしていました。

ここ最近便秘気味で、身体も重かったので自己で身体調整をなんとなく行っていました。

仰向けで寝た状態で始めていきました。

今日は特別集中力が高かったのか体の硬くなっている部分や便秘が起きている箇所が鮮明に感じられました。

そして、相互の関係性も深く理解ができどこまでも身体を開放することができました。

しかし、最後の最後に便が詰まっている直腸のところまで来るとどうしても身体を開放することができませんでした。

というのも便は床の方向に重力で落ちていこうとしますが、直腸は足の方向に向かっているのでどうしても方向が違っているのです。

どうやってもそこは乗り越えることができず仰向けで行うのは断念し、座って身体調整を行うことにしました。

仰向けではかなり身体は楽になっていたのですが、座った途端一気に呼吸がし辛くなりました。

重力を感じたのです。

重力を感じ脊柱の彎曲が強まり、胸郭の開きが悪くなり呼吸が浅くなりました。

そうすると頸部や腰部にハリを感じ、そのまますわっていると足が少し痺れてきました。

こんな状態では心を落ち着けることができず、身体の方に意識を向けることができず余計なことばかりが頭に浮かんで一向に集中できなくなりました。

 

ここで、いきなり「なるほど!だから座禅は座ってするのか!」となぜだかすごく納得しました。

なぜ納得したかということを深く探っていくと、人間の身体はどうなっているのかという発想になりました。

人間の身体は重力に対して垂直に保ってこそ最大限働き、寝た状態では人間の機能は最大限活かされません。

そして、足はじっとそこに立っているためにあるのではなく目的の位置までたどり着くための道具です。

なので、立った状態で禅をすることはできません。

坐骨を地面につけて姿勢を保ってこそ最大限に機能を発揮し、悟りの境地に向かうことができるとブッダは気づいたから座って禅を行ったのかと思います。

 

坐骨を地面につける→骨盤の上に背骨をきれいに並べる→頭蓋を背骨の上にバランス良く置く

 

これをしっかりと行えると身体の機能が最大限発揮され身体の隅々までオートメーションで意識が動き出し、身体を勝手に観察することができるのだと思います。

さらに手や足を組んでいることで意識が身体の外に出てしまわずに、常に身体の中を駆け巡ることができるのだと思います。

 

あー!難しい!自分の思ったことの半分も伝わっていないように思いますが、これが今自分が最大限に発揮できる文章力です。

まだまだです。

でも頑張って自分の頭の中を整理できるように書き続けます。