シンプルな生き方を目指すセラピストシローの人生シロウト体験日記 

シンプルな生き方を理想とし、無駄な思考・行動をできるだけ排除するためにはどうするかを自己の体験・思考を元に綴るブログです。

瞑想と坐禅の違い

瞑想と座禅どう違うのかなというのを自分なりに少し考えてみました。

 

瞑想は宗教とは関係ないのかなと思います。

「○○瞑想法」ってあるように宗教的なものではなく、肉体・精神への意識を高めるためのメソッド一つであると考えます。

 

坐禅は禅宗というのがあるように宗教の修行の一環です。

臨済宗曹洞宗で行われているのかな?具体的な宗派はわすれましたが…

曹洞宗の澤木興道さんが言った言葉を何かの本で見ましたが、

「坐禅をしても何にもならん。」

この言葉を見たとき衝撃でした、お坊さんがこんなことを言ってしまうんだと。

この言葉には色々な意味が含まれているのでしょう。

私の解釈としては坐禅は何かを目的としてやっても意味がないというか、そもそもが目的を持ってやろうとした時点で座禅にはならないといういみではないかと思います。

坐禅はどんどん自分の身についているものを捨てていき、その先に悟りを得るというものだと思うので、何かを求めて坐禅をした瞬間に自分の身についているものを捨てることができず、意図が強くでてしまい。悟りの道からは外れてしまうのだと思います。

自分をすべて捨てた先に本当の自分というのか自分がどういう生き物であるのかというところまで到達できるのだと思います。

私はそのようなことに興味を持った時期もありましたが、あまりにもハードルが高くて断念しました。

 

しかし、瞑想は座禅とは違い修行ではないので、一般人にもとっつきやすいものではないでしょうか?

瞑想は気分を落ち着けて冷静に自分を見直すためにやるという目的でやられる方が多いのではないでしょうか?

 

坐禅と瞑想はアプローチの仕方は似ていますが、似て非なるもので最終目的地が大きく違うと思います。

最終目的地が大きく違うものにも関わらずとりかかると途中でしんどくなってしまうからそこをよく認識しておく必要があると思います。

 

瞑想は私も時々やるのですが、ひたすら自分の身体の感覚を辿っていくものだと思います。

ただそれを繰り返すことで日頃の余計な考えを取り除くことができ、瞑想後にはリフレッシュできるのだと思います。

日頃私たちは思考することや外部の情報を入力することばかりを行っています。

そのために身体に対しての意識が非常に疎かになっています。自分の身体に対して意識が乏しくなると現実に起こっていないことに対して不安を抱くようになり、ちょっとしたことでも不安を感じやすくなってしまいます。

 

身体に対しての意識が高まれば、今行っている作業に対して集中力を高めることができ余計な思考に振り回されることが少なくなり、不安に対しての対応力が高まり、不安を感じにくくなります。

 

今のところ私が自分の経験を通して感じている瞑想と座禅の違いについてです。

一般の人には瞑想の方が入りやすい気がします。最近ではお坊さんが一般の方に向けて座禅会を開いたりしていますが、そもそもの目的地が違うのでその辺りをしっかりと説明する必要があるのではないかと思います。

瞑想は英語でmeditationと言われますが、坐禅はZazenであり英語における適切な対訳はないのではないかと思います。

 

しっかりとわけて考えると自分にはどちらがあっているのかがわかりやすく、けいぞくしやすいのではと感じたので今回記事にしてみました。

 

まだまだ自分は体験が浅いのでもう少し、わかりやすく伝えられるように体験を深めていきたいと思いました。