シンプルな生き方を目指すセラピストシローの人生シロウト体験日記 

シンプルな生き方を理想とし、無駄な思考・行動をできるだけ排除するためにはどうするかを自己の体験・思考を元に綴るブログです。

問題を極限まで細分化すると人は混乱し、恐怖を覚え洗脳される。

去年から治療系の勉強会に参加しています。(一応理学療法士としても働いています。)

 

勉強会の内容が高度化するにつれて対象となるものが目に見えないものとなります。

 

もちろんそれは非常に大事な部分であり、治療がはまれば効果は大きいのかもしれない。

 

そして、その効果や起きている現象に対して受講者驚き、自分もそのような治療技術を習得したいと思うようになる。

 

これ自体が悪いわけではないが、最近だんだんと興味が薄れてきている。

 

自分が治療の良い成果を挙げられていないから起きていることを納得できないという面ももちろんある。

 

しかし、なんとなくその場の空気がおかしいようにも感じる。

 

目に見えないものをあたかもあるように見せる。現象としては起きているので詐欺ではない。

 

見えないものを対象として話を進めていくと話者の方が明らかに優位な立場から話を進めることができる。

 

そしてその空気は空間を包み込み、受講生全体に否定的な意見を言えないように、また否定的な反応をすることを認めない。

 

そうなってくると若干眉唾気味に思っている自分自身が間違っているような錯覚を覚え、理解できない自分を責めるようになる。

 

そうすると理解できるまでその勉強会に参加しないといけいなという強迫観念にかられる。

 

講師と受講生というのは常に上下関係があり、対等に意見を言い合うことがない。

ましてや講師が人間的に魅力的であり、誰からも好意的にみられるような存在であればあるほど両者の関係性は強固なものになる。

 

これを意図的に利用している講師も多くいると思う。

しかし、意図せずしてこのような関係性を築いてしまっている講師もいる。

ただひたすらに一生懸命やっていることが逆効果になっている場合。

こうなるとなかなか手に負えずむしろ講師・受講生共に良いことを行っているという自負が生まれてしまい、発展性が失われ自己満足だけの勉強会になってしまう危険性がある。

 

治療系の本来の目的としては知識・技術に長けたものが、さらにおおくの優れた治療家を生み出すため野もであり。

より多くの困っている患者を救うために行うべきものである。

 

しかし、それがいつしか自分たちの世界でオタク的に技術の粋を競い合うような社会的には何の生産性も生み出さないものになってしまっているものがある。

 

問題点を短絡的に治療することが否定され、問題点をより複雑に掘り下げ難しい技術がもてはやされつつある傾向にあると感じている。

 

どちらの方がいいと一方的に認めることはできないが、極端すぎるのはどちらも問題である。

 

受講生は誰のためにやっているのかということをより明確にして参加しないと、講師の私腹を肥やすことだけにお金を費やしかねないということを改めて認識する必要があると考える。

 

問題は講師側にもあるがマニアックであまり一般的でなく、一般の人が理解しにくい高等な技術が良いと考える受講生の方にも大きな問題はある。

 

よりシンプルな技術を考え出し、誰にでも簡単にできる技術というものが世の中に現れてくることが一番良いと考える。

 

少し偉そうに語った内容ですが、私自身治療系の勉強は既に飽きがきております。

何に対しても飽きやすいシロウトシローです。