シンプルな生き方を目指すセラピストシローの人生シロウト体験日記 

シンプルな生き方を理想とし、無駄な思考・行動をできるだけ排除するためにはどうするかを自己の体験・思考を元に綴るブログです。

結局は答えがでない文章を今日も書き続ける。

半年ほどブログから遠ざかっている。

書く内容がなかったと言えば確かにそう。

家にネット環境がないというのもそう。

iPhoneでは書く気がないというのもそう。

忙しくてブログまで手が回らなかったというのも確かにある。

しかし、どれも理由としては成立するようで成立しない。

どんな出来事でも理由を後付けすればそれなりにそのように見えるもの。

だからといって何か言いたいことがあるかというとそうでもない。

 

物事には理由があるという。

確かにそれもそう。

 

原因があるから結果があるという。

100%ではないがそれもそう。

 

なんとなくそれらしい言葉を並べるともっともらしいし、

なんとなく説得力がある気もする。

 

「なんとなく」という言葉自体も解釈が様々ではあるものの、

結構使い勝手が良い。

 

言葉を使って人間はコミュニケーションを取る。

言葉を放つと他に人がいれば何かが起こる。

 

誰かが「あ」と言う。

横に誰かがいると「え?」という。

「あ」だけでも何かが起こる。

仮に横の人が「あ」を無視しても。

「無視」という行為は発生している。

さらには「あ」と言った本人は「無視された」という

感情を抱く。

 

言葉は何でも起こすことができる。

逆に言うと言葉がなければ何も起こり得ない。

 

人間から言葉を奪うと何もできない。

 

と、思い込む。

確かにそう。

 

でも実際にはそうではない。

言葉がなくてもなんとかなる。

実際にそれは言葉が通じない環境に行ったときに感じた。

 

だから言葉を失くした人たちにはそれを伝えたい。

でもそれは体験した自分がいるから言えること。

 

同じ体験をしていない人にその説明をしても納得はしない。

体験談を話すことが共感を生み、納得に繋がるとは限らない。

 

実体験を通して共感を求めようと話をすることは良いような気がする。

確かに体験した人しかわからない、生の言葉だから説得力がある気がする。

でもテレビで見るドキュメンタリーを見ているようなものでもあると思う。

一歩退いた目線で話を聞いているので、良いようで良くないようで。

 

何が言いたいかというと納得するかしないかは結局のところ相手任せ。

相手がどうとらえるかはこちらの差配でどうなるものでもない。

 

だから重要なことは慎重に伝える必要がある。

でも不器用だからそれがなかなかできない人もいる。

自分は不器用な方。

慎重に伝えるつもりが直球勝負。

強気の攻めになってしまうことがある。

 

分かってくれる人はわかってくれる。

そうで良い気もするが、そうではいけない気もする。

 

人とのやり取りはどうしても難しい。

自分の操縦が苦手な人間にとっては余計にそう感じる。