シンプルな生き方を目指すセラピストシローの人生シロウト体験日記 

シンプルな生き方を理想とし、無駄な思考・行動をできるだけ排除するためにはどうするかを自己の体験・思考を元に綴るブログです。

自分を生きる

自分を生きるということはどういうことか?

自分とはそもそも何か?

自分は規定できるものは何か?ということを考えた方がよいかもしれない。

自分を規定するものは何か?自分を規定するのが自分ということはありえない。

たぶん自分を自分で規定しようがない。だって自分だから。

自分を規定はできないが、自分が別の存在を他者と規定することはできる...と思う。

だから仮に自分というものが他者を規定して、他者と規定できないものが自分というやつなのかもしれない。

ということは「自分を生きる」ということは他者の存在をまず規定することから始まり、他者が生きていることを確認できてから、自分が生きていることを認識できる。

他者が生きていない、もしくは他者が生きていることを認識できない世界では自分が生きているということは言えず。自我のある何かが生きているということになる。

そのため、「自分を生きる」ということを実現するためには「他者が生きる」を可能にしないと実現しえないこと。

つまり、「他者が生きる」が在りきで、「自分を生きる」がある。

「自分を生きる」ということで自分よがりになるだけでは、「自分を生きる」ということはできない。

他者をまず活かして、自分を生きる。

他者ありき。

他者に何かをできるものだけが、自分を生きることが許されるのかも。

果てしなく大変。

でも世の中を見ていると好き勝手にやっている人がいる。

それが世の中に許容されているなという人がいる。

なぜなのか?

好き勝手に生きることが他者のためになっていることがあるということか。

そんな生き方素晴らしい。

 

今の自分にそれができる土壌があるかというと全くない。

自分勝手に生きると周りが困る。

自分勝手に生きると相手に損失を与える。

自分は自分勝手に生きることができない。

自分勝手に生きることは他者に迷惑をかける行為という認識しかないからだ。

自分を生きる、自分らしく生きることが誰かのためになる。これが達成できるとお互いにすげーいい。

羨ましい関係性にある。

自分のしたいことが誰かのために。そんな夢みたいなことがあるのか?

自分のしたいことを先に考えるのか、誰かのためになりそうな自分のしたいことを選ぶのか?

職人はどちらかな?

職人だと自分のしたいことが、誰かのためになると直結しているような気がする。

だから職人に憧れるのかもしれないな。

 

今日も乱文失礼いたしました。