昨日はフラワーエッセンスのセッションを受けてきた。
その中で自分の普段の思考パターンについて気づかせてもらうことができた。
その点とはある物事に対して出た結果について自分は全て出来なかったことについてしか目が向かないということ。どうしても出来ないところを自然と見る癖があるということ。
確かに結果の捉え方としては「出来た」か「出来なかった」に終始することが多いとは思う。
ただ、それだけでは次に繋がるものはなく、その場で完結してしまい。成長に繋がりにくい。
自分は毎回そのような思考の仕方を繰り返していたんだと気づいた。
そのために成長できていないような感じがして、毎回同じところでつまづいていると落ち込んでいた。
落ち込みやすいのも「出来なかった」という部分にばかりフォーカスしてしまうことが原因だということもわかった。
そこで考え方の癖を変えていくための一つとして、よくある例えで、
コップの中に水が半分残っている時に「まだ」半分「も」残ってると捉えられるような癖をつけるといいと。そう思うことが大事だと
「思う」ということがポイントになる。
結局は全てのことは思えるかどうか。
捉え方次第。
目の前にある事象としては一側面だけでは成立しない。
一側面だけではないのと同義ぐらいになると思っている。
「ある」という状態があるから「ない」という状態があると判断できるのであって、
「ない」という状態しか無ければ「ない」という状態もない訳で、
「あなた」という存在があるから「わたし」という存在がある。
「あなた」という存在がなければ「わたし」という存在判断ないことになる。
分けることができるから両方が存在できるのであって、
分けることができないと存在できない。
でも、分けることが出来るだけでそこに「良い」「悪い」というのもは存在しない。
まずは「ある」ということと「ない」ということが存在するということを認めることが、物事のベースにあるということを意識する。
だから「出来なかった」ということをみること自体も悪いことではなく、「出来た」ということを探す意識を持つことができれば成立することではないかと思う。
自分の特性として、「出来なかった」を見つけるのは得意なので、後は「出来た」を見つけることが出来るようになってくればもう少し安定してくると思う。
前置きがすごく長くなったけど、自分なりに今回の経験を通して考える中庸とは、
「結果や事象は一つしかないけど、それらが存在出来ているのは、別の側面の結果や事象が裏にはあるからだ」という見方のことを言うのだと思う。