シンプルな生き方を目指すセラピストシローの人生シロウト体験日記 

シンプルな生き方を理想とし、無駄な思考・行動をできるだけ排除するためにはどうするかを自己の体験・思考を元に綴るブログです。

「自分」というもう一人の私によって苦しめられている

前回の記事からここまで期間が空くとは思いもよらずまさかの3カ月も。

 

まあそんあことは置いておいて最近のことについてまたいつものようにだらだらと書いていく。誰にの為にもなっていない自分の記録としてのブログを再開致します。

 

この3カ月はなんとも煮え切らない。

くすぶった三カ月であったということは間違いないです。

煮え切らないというのかくすぶっているというのか、何に対しても積極的になれない状態。

 

その割にツイッターはなぜかこまめにやっておりました。

 

そこで最近のトピックスとしては「自分」とはなんぞや?ということ。

自己を表す言葉として私は「自分」という言葉を多用しておりました。

「自分は○○だと思う」とか「自分って○○だ」とか。

 

そうやって「自分」という言葉を使うことで物体の自己と思考している自己が乖離している感じを覚えるようになりました。

 

かねてから私は客観的に自己を見ていきたいと考えていました。

自己を客観的に見すぎたのか「自分」というもう一人の存在があたかもいるように思えてきて、日々の出来事を振り返ってもなんだか他人事のような感じで振り返りと言うよりも出来事の感想にすぎないようなことばかりをつぶやいていました。

ある意味でドラマを見ているかのような感覚。

だからどこまでいっても本気になれず、私の常套句「まあえっか」をさく裂させておりました。

 

以前は「まあえっか」は気持ちを切り替える魔法の言葉のようにとらえておりましたが、最近では「まあえっか」が「もうえっか」みたいなある種のあきらめにもにたような使い方をしているということに気づきました。

 

フラワーエッセンスをやっていて、日々の振り返りをしながら自己の変容を促していくということをやっておったのですが、いつまで経っても変化が起こってこず、毎回同じと事で躓いていることにも気づきました。

 

その大本となるのが「自分」という存在なのではないかということに至りました。

「自分」なんてそもそもないって前は思っていたのになんかいつの間にか存在していて、その「自分」を観察するだけの日々になっていました。

 

「自分」は大事だし、自分のやり方なんていうのがあった方がいいかもしれないし、自分がどんな人間かわかった方がいいと思うけど。

 

「自分」というものに囚われすぎてわけわからん状態に陥っています。

 

「で、結局何がしたいの?」って人に言われることがあって、「自分は何がしたいんだろ?」って改めて考える。

そこで答えがでないと「自分って何も考えていないダメな人間なんだなって」思ってします。そんな繰り返しの人生を送っているので、全然今を生きられていない状態でした。

 

結局何がしたいんだ?っていうのがよくわからないので、日々の生活の中でどんなことが必要なのかということをとりあえずやってみて毎日を大事に生きることから初めてみようと。

シンプルにやってみることで、何かまた見えてくるかもしれんし。

 

久しぶりに書いたブログまたぐちゃぐちゃな頭の中の言葉を書き連ねるだけで終わった。でもスッキリした。

 

明日からもガンバロ。

 

いえる=癒える、言える、家る

いえるを実現するために今があるはず...