シンプルな生き方を目指すセラピストシローの人生シロウト体験日記 

シンプルな生き方を理想とし、無駄な思考・行動をできるだけ排除するためにはどうするかを自己の体験・思考を元に綴るブログです。

「自分と向き合う」って簡単に言うけど、それほど簡単でもないと思います。

自分と向き合うというテーマでここ一カ月やってきました。

自分ということに囚われている原因はそこにあるかもしれませんが、向き合うということをテーマにフラワーエッセンスを取っています。

 

自分と向き合うということがまずどういうことかというのを理解しなければ言葉だけではどうにもならない。

 

さらにその前に自分というものがどういうものなのかということの理解も必要...

 

だけど...「自分」を理解することができないのに向き合うことなどできるのか?

というところにいつもぶち当たってきたので、今回はそこはまず置いておくことにしました。

 

「向き合う」ということは「自分」を理解するよりも比較的簡単そう。

「向き合う」とは目の前に起きた出来事から問われる対応に目を逸らさずに対応することだと私なりに解釈した。

 

生活をしていると日々色々な出来事と遭遇する。

出来事と言っても大きなものから小さなものまで多種多様。

一日の始まりから考えると起床することすら対応を問われる。

私は毎日起床することを拒む。

起床した後にしないといけいないことが決まっているから。

それは仕事に行くということ。

仕事に行くのが毎日嫌で起床することを一回で決断できない。

起床して仕事に行くのか?それとも起床せずに仕事を休むのか?

当たり前のことではあるが、毎日この問の対応に苦慮している。

結局は起床して仕事に行くという決断を毎日しているのですが。

同じ決断をするのだから苦慮する必要はないにも関わらず無駄な抵抗をしている。

というか逃げようとしている。

選択肢は用意されているけど、同じ選択をしている。

起床だけでも選択肢は用意されている。

そう考えると日々膨大な量の問いが用意されている。

問いに向き合い続けていると言えば確かにそう。

 

にも関わらずこれを「自分と向き合っている」ということとできるかというと違う気もする...

そんな薄っぺらいものかと。

出来事の表層ではなく、もっと深い本質的な部分と向き合うことが本当のむきあうことではないのか?と思う。

特に悩むことが多いことに対して深く向き合うことが大事なんだろうと。

 

私が悩むことは大体決まっている。

「これからどう生きていきたいか?」

たぶんこれは誰でも悩むことじゃないでしょうか。

 

この問いはざっくりしすぎているからいつまで経っても悩み続けているのかも。

 

「これから」っていうところからしてあいまい。

期間があいまいすぎる。死ぬまでってことはない。そんなに長期的な捉え方はしていない。かといって今年中ってほど短くもない。

私が設定すれば良いだけの話やし、誰かに設定されているわけでもない。

私が設定すれば良いのは自由で良い感じもするけど、決められていないので後回しにしてしまう。そこが私の悪い癖である。

そう結論を後回しにするというのが私の人生での課題らしい。別の言い方をするとこれを計画性がないということでもあるらしい。

ここに向き合うということが私には求められている。

 

はい、一つ向き合うことが明確になりました。

「期限をきめる」ことが必要。人生は有限である。だからこそ期限決めなければいつまで経っても悩みは消えない。

 

次に「どう」っていうのも意味が広い。

どうではなく、「何を」「誰と」「どこで」に変えた方がわかりやすい。

 

「何をして生きたいか」に変えると「何を」の部分には仕事や遊びとかの「行動」に絞れる。

その中でも「なんの仕事」「どんな遊び」「どんな活動」って言い換えればさらに明確になる。

 

「誰と生きたいか」だと1人で生きていくのか、両親と生きるのか、パートナーを見つけてその人と生きていくのかなどに分けられる。

個々の部分に関しては既に決まっている。パートナーと生きていくことに決めた。

2人でこれからの人生を過ごすことにした。一つは決まっている部分があって良かった。

 

「どこで生きていきたいか」は、日本か海外か。

これも今のところ決まっている。日本です。

一生暮らすのかまた移住するのかはまだ未定ですが決まっている。

 

ということは今向き合うことは「期間」を決めて、「何をして生きていきたいか」ということと向き合うことが必要なことだとわかりました。

よし、わかったらあとは行動するだけ。

その行動がすごく大きな壁ですが、やりましょう。

私自身のためですから。